燃えよ剣/司馬遼太郎 勝手に書いてんじゃねえよ?

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歴史小説「燃えよ剣」を読んでいて思った。

もし、歴史小説の主人公や登場人物が今の時代に生き返り、
この小説を読んだらどう思うのだろう。
自分の生涯が描かれている小説を読んでどう思うのだろう。

ある者は、勝手に書いてんじゃねぇよ、と思っているかもしれない。
ある者は、小説ではこう描かれていたけど、実は違うんだよな、と思うかもしれない。

主人公の土方歳三に至っては、お雪との関係を深いところまで描写されており、
その点においては気分を害するかもしれない。
(だが、お雪のことが描かれていなければ、この小説は成り立たない。)

土方はきっとこう思うと思う。
作者による多少の脚色がありこそすれ、自分の生き様を、生きたあかしを
後世に残せたことを嬉しく思ったのだと思う。

土方歳三が生きた時代。
私にとっては、ひいひいおじいちゃんが生まれた頃であろうか。
そう考えるとそんなに昔のことではないように思える。

 

物語の終盤、歳三は北海道でお雪と再会する。
その中の一節。
「過去はもう私にとって何の意味もない」
「わたくしとの過去も?」
「その過去は違う。その過去の国には、お雪さんも近藤も沖田も住んでいる。
私にとってかけがえのない過去だ」

私はこの一節を読み、今までの長い話はこの一節のための壮大な前振りだったのか、と思えた。
武士にあこがれ、地元の近藤や沖田と剣術を磨き、新撰組として京都に赴きお雪と出会い恋におちる。

時流が変わっても歳三は自分の信念を貫き通して生きていた。
行く先に死が待っていようとも、である。
そんな歳三でも心の拠り所としていたのは、心の中には幼少のころの思い出や、
新撰組が新撰組らしかった頃のこと、
愛する(愛した)女のことだったのだと思う。

司馬遼太郎は、時代に翻弄されながらも自分の信念に忠実に夢中に生きた土方歳三という男を描ききった。
土方歳三は実際に生きていた人物なのだ。そう思うと感慨深い。
決してハッピーエンドではないこの男の人生に、我々は何を感じるのだろうか。
私は読んでいて熱いものがこみ上げてきた。